インタビュー

「まちは生きているんです」新藤丸の顧問に就任した山川知恵さんをインタビュー

SORAtoでは、地方創生ベンチャー「そら」と十勝のために働く・動く・考える人たちを紹介していきます。今回は2023年1月31日、122年の歴史に幕を下ろした帯広市のデパート「藤丸百貨店」の再建を担うキーマンにインタビュー。藤丸の新会社の顧問に就任した、まちづくり事業などを手掛ける「空間Works」代表の山川知恵さん(45)です。山川さんとはどんな人物なのでしょう。山川さんの横顔をご紹介いたします。

プロフィール
山川 知恵 | やまかわ ともえ
1978年生まれ。帯広市出身。7歳男児の母。帯広小学校、帯広三中(現翔陽中)、帯広柏葉高卒。進学を機に上京。東京で8年間を過ごし、ヒッチハイクで全国を放浪したり、自分なりに色んな世界を見て経験。地元十勝の特異性、素晴らしさを実感できたことがなによりの収穫でした。Uターン後の今は空き家・空き店舗活用、イベント企画運営、起業支援などまちづくりの事業を多面的に行っています。「空間Works」代表


帯広の街中で生まれ育ち、そして上京へ

―藤丸再建の顧問就任の話の前に山川さんと藤丸の関係は?

生まれも育ちも帯広です。帯広小学校、帯広三中、帯広柏葉という帯広の街中育ちの王道と言われるゴールデンルートの学校を卒業してきました。つまりは、藤丸のすぐ近くで生まれ育ったんです。

母や祖母は、夕飯の買い物や日常用品・洋服など、すべてを藤丸で買い物していました。小学校が終わると友達と藤丸でおやつを買ったり、中学校の頃は藤丸さんの前を通って通学、高校時代も藤丸の周辺、いわゆる街中で遊び、そのまま家に帰るという生活でした。高校を卒業するまで常に藤丸の姿が目に入る生活です。思い入れは強いです。

―帯広の街中から本物の街中“東京”へ

進学を機に上京したんですが、すぐに学校を辞めちゃって、それでも北海道には戻らず、結局、8年ほど東京に住んでいましたね。その間は、色々な仕事をしました。自由な時間で働ける仕事がメインでしたね。ライブハウス、新聞社、マーケティング会社などなど……。

稼いだお金は、すべてヒッチハイクで全国を周るために注ぎ込みました。当時は、とにかく自分の知らないことを見て、聞いて、納得しないと気が済まないというか、海外を知る前に国内を全部知らないと「日本人としてダメだろう」と強迫観念のように全国を見て回りましたね。それで得たのが、自分の価値観や固定概念が、すごく狭くて小さいものだって知れたこと。100人いれば、100通りの人生、暮らし、価値観があって、それには正解も不正解もなく、もし正解があるとしたら、それは自分で作り上げていくものだと、何事にも決めつけないでやってみるという信念を得ました。

8年ぶりの帯広生活は介護士から

―そしてUターン

そんなこんなで8年間、新聞社やテレビとかメディアも含めて、仕事内容はほとんど覚えてないけど、色々とやってきた中で急展開を迎えます。結婚を機に帯広へUターンすることに。8年ぶりの帯広生活です。先ずは仕事に苦労したかな。当時は今以上にクリエティブやサービス業など、選べる職種が少なかったと勘違いしていました。「資格が無いと地方では就職できないのではないか?」と思っていたこともあり、帯広へ戻る前に東京で介護資格だけ取りました。

―8年ぶりの帯広生活はいかがでしたか

介護士からケアマネージャーになるために、資格試験要件の5年の経験を積んで、その後、ケアマネになったんだけど、現場の声を聞くうちに「この声を政治や行政に誰かがしっかり伝えないと現場は変わらない」と危機感を抱くようになっていくんです。

―なるほど、だんだん現在の山川さんへ舵を切り出したと

そうそう。その頃から副業でアパート経営もはじめました。アパート経営をする中で、空室率を下げるために内装デザインに力を注いだんです。すると常に満室となったんです。それを聞いた他の大家さんから「山川さんに内装デザインをお願いしたい」と頼まれるようになり、その後の空間デザインWorksの立ち上げにつながります。

―まちづくりへの第一歩ですね

大家業していると、不動産投資の知識も身につくんだけど、考えることは一緒で都市計画そのものを意識するようになるんです。例えば、商業施設を建てるとその地域の動線そのものが変わっていくんです。

商店街に向かって人や車が向かっていた動線が、近くに大型商業施設ができた瞬間に流れが変わるように。「まちづくり」の楽しさというか、如何にまちづくりが大事だなと感じたんです。すると「まちづくりに与える影響を自覚する大家さんを増やしたい」「面白いまちを一緒につくる仲間がほしい」という思いが生まれました。そこから、密接に関わるには、都市計画を担当する行政や政治の世界にも繋がりを持つ必要があるなと考えはじめます。

まちづくりの大切さと面白さに気づいた30代後半

―帯広市中心市街地活性化協議会の副会長へ

繋がりをもつことは責任を持つことでもあるんで、自分の意見を言うからには説明責任を果たす必要があると思うんです。だからこそ、帯広市中心市街地活性化協議会でしっかりと働かせていただくことで果たしていければと思っています。

―イベントや女性活躍の場の創造もしています

まちづくりには、計画も大事ですがムーブメントを起こすには、きっかけとなる仕掛けも大切ですから。十勝ファーマーズマーケットは、当初、街中の空きスペースを活用して、生産者が業産品を直売できる場所として考えたんです。農業王国十勝だからこそ、生産者と連携することは必至だと思いました。「十勝〇〇婦人部 人材育成グループ」は、この十勝で「自分らしく」働き、横の繋がりで支え合うコミュニティを作ることを目指して作りました

―すべては、ふるさと十勝・帯広のためですね

正直、そんな大それたことは考えてこなかったんですが、自然と舞い込んだり、企画の話が盛り上がって実行しちゃうことで継続しているという感じかな。根本は、大好きな地元がもっと「元気なままで在って欲しい」という想いからだと思います。親となってからは、将来、子どたちが成長した時に、魅力的な街のままでいてほしいと……。

まちづくりには、人の息吹を吹き込むことが大事

―藤丸の顧問は集大成というわけですね

将来の子どもたちにとって魅力的な街のままであるためにはと考えたら、私のできることであれば、全部出し切りたいと思っています。人も社会も「知っているか知らないか」で、その後の変化や道筋が大きく変わると思うんです。45年生きる中で知ったこと、その中で子どもたちに何か役に立てることがあるなら全て伝えたいと思っています。

一人が独裁・独善で行うことって、スピード感はあっても、品質を保証できるとは限りません。先人の知恵を大切にしながら、時代や未来に合わせて、多くの“当事者”をつくり、沢山の人たちと共に面白がって、楽しみながら動くことが大切だと思っています。まちは生きているんです。だからこそ、現在を一生懸命に生きている私たち自身が寄り添って作り上げるものだと思っています。大好きな藤丸を再建して、まちを生かすお手伝いができれば本望です。

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