第七回目のフロントランナーは、宇宙ビジネスに沸く十勝・大樹町で循環型の大規模酪農を展開する株式会社サンエイ牧場の鈴木健生代表です。4代続く同牧場の舵を取り、バイオガスプラントなどを取り入れた持続可能な酪農業を推進。一方で、「酪農一本の会社のカラーを変えていく。町の将来を担う若者のために、環境と選択肢を増やしてあげたい」と、地域に新たな風を吹き込む新規事業についても展望を語ります。若き経営者の瞳に映る地域創生ビジョンとは。(取材:株式会社そら 三浦豪 加藤直樹 / 記事・写真:スマヒロ編集部)
PROFILE
鈴木 健生|すずき たけお
1982年、大樹町生まれ。中学時代までを同町で過ごし、北海道帯広農業高等学校へ進学。卒業後は十勝管内の牧場で修行を積み、酪農の道へ。家業を継ぐ志を胸に2004年、株式会社サンエイ牧場に入社。人工授精師資格を取得。23年、4代目の代表取締役に就任する。
酪農家の家に生まれ、幼少期から培ってきた酪農への意識
一問一答は以下の通り

鈴木代表の生い立ちについて教えていただけますか?

大樹町で生まれ、実家はサンエイ牧場の前身となる鈴木牧場です。中学時代までを地元で過ごしました。高校は帯広市にある農業高校に進学しましたが、あまり勉強が好きなタイプではなく、早く自立して働きたい気持ちが強かったですね。

幼少期から家業を継ぐことを意識されていましたか?

子どもの頃はどちらかといえば、「酪農=汚い」「きつい」というイメージを持っていたように思います。中学生の頃は馬が好きで、競走馬の飼育に憧れていました。ただ現実的には、家業を継ぐことに自然と意識が向いていましたし、酪農の将来性も感じていました。

それでは、ストレートに家業を継いだのですか?

いいえ。高校卒業後に1年間、新得町にある牧場で修行しました。さらに人工授精師の資格を取得するため道内の牧場でも働きました。しかし、試験が思った以上に難しく不合格に……。結局、働きながら資格を取得するためにUターンして、父が経営する実家の牧場に入社しました。
そこから農事組合法人を経て株式会社サンエイ牧場へ

サンエイ牧場の歴史と法人化について教えてください。

私が小学校6年生の頃までは、個人経営で鈴木牧場を営んでいました。そこから株式会社サンエイ牧場となり、今年で31年目を迎えます。当時、先代が「個人では限界がある」と考え、法人化を決断したのです。乳価が低くなってもやっていけるスケールメリットを追求した結果ですね。

規模拡大の背景にはどのような取り組みがあったのでしょうか?

法人化当初は「共同経営なんてうまくいかない」と言われましたが、運営が成功したことで、次々と近隣農家も法人化や大規模化を進めました。当初は200頭の牛を持ち寄る形でしたが、今では約2700頭の乳牛、さらに和牛110頭を飼育しています。この30年で規模は10倍以上に拡大しました。
代表就任と組織運営の課題

代表に就任されたのは2023年3月と伺いましたが、経営者としての矜持を教えてください。また、どんな課題を感じていますか?

代表になることは早い段階から意識していました。もともと経営者になることを目標にしていましたし、自分が最年長だったこともあって、自然とその役割を目指していました。いち従業員として働いていた頃には正直、与えられた仕事を淡々とこなしているようなところもありましたが、経営者となり人間関係の構築が特に重要だと感じました。年上の従業員も多い中で、信頼を得るためには自分自身がしっかり模範を示すことが必要でしたね。

心境の変化があったんですね。

現場のプレイヤーとして働いていたときは、自分の担当分野だけに集中していましたが、代表になってからは会社全体を見渡して判断しなければならない立場になりました。その中で、自分の言葉や行動が従業員に与える影響の大きさを強く感じました。

従業員とのコミュニケーションや育成で工夫していることはありますか?

一時期、離職者が続いたことがありました。その経験から、従業員を育てる環境を整えることが重要だと痛感しました。具体的にはコンサルタントを入れたほか、講習会を開いたり、悩みがあれば個別に話を聞いたりして対話の場を設けるようにしています。その後、新しい従業員も入りましたが、離職者が出ていないのはこうした取り組みの成果だと思っています。

酪農業において、組織運営や成功の鍵は何だとお考えですか?

詰まるところ、仕事の中心は「人」だと思います。酪農の世界は牛と向き合う仕事に見えて、実際には人間同士の関係が土台です。新入社員や体験に来る人には、「私たちの仕事は、牛との1対1の関係だけではなく、人と向き合うことが重要だ」と伝えています。この考えが組織全体を支えていると思います。
バイオガスプラントの注目度とロボット牛舎の導入

視察が絶えないと伺いましたが、バイオガスプラント施設について教えてください。

1号機を11年前、2号機を3年前に稼働させました。当初は匂いの臭気対策が目的でしたが、発電も可能で、近隣地域にも電力を供給しています。

どのような業界からの注目を受けていますか?

昨年は30件以上の視察を受けましたが、自動車業界や重工業、輸送機器メーカーなど多岐にわたる業界の方々が訪れています。特に、エネルギー関連の企業からの関心が高いですね。バイオメタンへの転換や、それを使った地域資源の活用も進めています。

なるほど。今後の規模拡大や計画面についてはいかがでしょうか?

現在、ロボット搾乳牛舎を建設しており、2025年3月には稼働予定です。この牛舎では500頭の牛を管理し、効率的に増頭を進めていきます。また、近隣の離農が進んでいるため、耕作放棄地を活用し、地域の土地を酪農で守ることを目指しています。

規模拡大という面では、ゆくゆくは海外展開の可能性もあるのでしょうか?

もちろん視野に入れていますよ。実は、ベトナムの乳業大手THミルクの視察に行ったんです。6万5000頭の牛を管理し、1万頭規模の牧場が村のようになっている現場を目の当たりにし、そのスケール感に圧倒されました。

ベトナムは発展途上国というイメージがあるのですが、酪農業においては少し事情が違うのですね。

物価や平均所得は日本よりも低いですが、乳製品の価格はほとんど変わりません。また、自分で何でもやるという意識の高さに感銘を受け、日本も学ぶべき点が多いと感じました。将来的には、ベトナムでの牧場運営も選択肢に入れています。
未来を見据えた多角化で地域活性化に貢献

大樹町というと、現在は「宇宙の町」と連想する方も多いと思います。基幹産業の従事者として率直に、ロケット事業についてどうお感じですか?

私が高校生の頃にはすでに、航空公園(編集部注:大樹町多目的航空公園)ができて「ロケットの町になる」といった話がありました。かつては他の事業従事者との間で摩擦があったようなことも聞いていますが、今では協力体制にあると思いますよ。大樹町の発展に貢献するという意味では、共通点もあるでしょう。

「町の発展に貢献」とのことですが、御社では新たな挑戦を始めるそうですね。

酪農を会社の柱として維持しつつも、多角化を進めていきます。酪農は確かに町の基幹産業ですが、「大樹町に帰っても酪農しか仕事がない」と思われる現状を変えたいんです。他の分野で新しい雇用や選択肢を提供することが必要だと考えています。たとえば、ウイスキー事業もその一環です。

ウイスキー事業について詳しく教えてください。

私自身がウイスキーにハマったのがきっかけで、大樹町産のデントコーンを原料にしたバーボンの製造を支援しています。現在、250ヘクタールのデントコーンを栽培しており、そのうち35ヘクタール分をウイスキー用として供給します。これにより年間約300トンの実を収穫し、200樽分のウイスキーを生産予定です。すでに30樽分は予約が入っているそうです。最終的には「オール大樹産」のウイスキー製造を目指していってほしいですね。

それは御社にも大樹町にとっても、大きな転換期となりそうですね。

現在取り組んでいるウイスキー事業のほか、取締役会では鉄工所や運輸業、宿泊業などさまざまな可能性についても議論しています。先ほども申しましたが‘、若い世代が地元に戻りたくなるような選択肢を提供し、大樹町の活性化に貢献していきたいです。
PROFILE
加藤 直樹 | かとう なおき
群馬県前橋市出身。武蔵大学を卒業後、野村證券入社。最初の配属地、とかち帯広営業所でそら代表の米田健史と出会う。その後、大阪の支店で2年勤務。2024年2月、株式会社そらにジョイン。現在は社長室長として社長をサポートする。
PROFILE
三浦 豪 | みうら ごう
株式会社dandan 代表取締役 | PwCの戦略コンサルティングチームStrategy&、ベンチャーキャピタルの Reapraグループを経て、2021年に株式会社dandanを創業。人や組織は「だんだん」変容するというコンセプトで、企業研修や経営支援、コンサルティングを行っている。2023年に帯広市に移住したことをきっかけに、SORAtoインタビュー企画のディレクターとしても活動している。

今回の主役は、北海道・十勝に移住した三浦豪さん。米国シアトルのワシントン大学を卒業し、世界最大級のプロフェッショナルサービスファーム「プライスウォーターハウスクーパース(PwC)」の戦略コンサルティング...