帯広から上場を目指す!十勝スタートアップの急先鋒、ファームノート創業者の潜在意識が書き換わるプロセス
インタビュー企画「そらと考える:地域共創の現在地とこれから」では、株式会社そらが持続可能な地方創生への模索を続ける中で、各業界のフロントランナーの方々をゲストとして招き、十勝の企業や個人の取組みが地域の発展にどのような意味を持ち、どのように貢献しているかを掘り下げていきます。また、十勝がこれから将来にわたり発展し、地域外から人々を惹きつける為には何が必要なのか?という観点で、ゲストたちが考える地域・業界の課題や、それを乗り越えるための革新的な取り組みにも焦点を当てるインタビュー企画です。
第二回目のフロントランナーは、世界の食糧問題を解決することを掲げる酪農IoTのスタートアップ企業「ファームノートホールディングス」の代表取締役、小林晋也さんです。持続可能な農業を支えるテクノロジーの開発において、その才能とビジョンを発揮する小林さん。率いる会社は累計資金調達額“約53億円”と、まさに北海道スタートアップ界の雄!日本の農業界の牽引を期待される小林さんの現在地と未来について伺いました。インドで180度、マインドが転換した逸話は必見です!(取材:株式会社そら ・西麻衣子 三浦豪 / 記事・写真:スマヒロ編集部)
PROFILE
小林 晋也 | こばやし しんや
1979年生まれ、北海道帯広市出身。旭川工業高等専門学校卒、機械工学専攻。機械部品商社に入社し、FA(ファクトリーオートメーション)分野で精密機械の拡販を担当。2004年帯広市に有限会社スカイアークシステム(現 株式会社スカイアーク)を創業。大手企業へのCMS・ブログシステム・社内SNSの普及に貢献。「世界の農業の頭脳を創る」という想いから2013年に株式会社ファームノート、2016年にファームノートホールディングスを創業。ものづくり日本大賞 内閣総理大臣賞受賞、「日経ビジネス 時代を作る100人」に選出。
一問一答は以下
当初は十勝愛があったわけではない。はやく家を出たくて15歳で旭川へ
小林さんは北海道帯広市で生まれ育ちましたが、子供の頃は十勝に対してどのような想いを持っていたのか、何かあれば聞かせてもらえますか?
子どもの頃は、十勝は「あたりまえの景色」だっただけですね。特別な感情はなく、ただそこに生きているだけ。とにかく早く十勝から出たいと考えていましたね。地元に対する愛や地域の可能性を広げたいという想いが芽生えたのは、大人になってからだと思います。
なぜそこまで十勝を離れたいと思っていたんでしょうか。
十勝の土地柄がというよりも、学校などで他人とあわないことが多く、同じ枠組みで生きられないと子どもの頃には思っていて、地元を離れて旭川の高専に通うことになりました。
15歳で親元から離れてどうでしたか。
父の影響で、子どもの頃からパソコンに触れていたので高専ではより専門店なことを学べて充実していましたよ。
卒業後には1度就職していますね。
はい、その後、勤めた会社を3年で辞めて帯広に戻ってきて、2004年にスカイアークというCMS(コンテンツマネジメントシステム)専業のシステムインテグレーターを起業しました。
当時は十勝の土地柄を活かして農業関係の事業を、というような発想ではなかったということですね。
はい、当初は十勝の特性を活かそうとか、合わせようとかを全く考えていませんでした。もちろん、人並みに地元愛はあるし、地域の可能性が高まってほしいという郷土愛もありますが、真剣にどう生きていければよいかと考えた選択肢が、当時ブログに用いられていた「CMS」だっただけです。
年商1,000億円を目指し、結果4億円に悩んだ10年目
現在はファームノートとして農業に携わっているわけですが、どのようなきっかけがあったのですか。
十勝で起業した当初は、特に地域との関連性は感じていませんでしたが、そこからどうやって農業にたどり着いたかは、縁がすべてだと思っています。祖父が農業を営んでいたことは事実です。
人の縁で農業へ?
そうですね。ある酪農家との出会いから、私や会社が持っている技術を使って課題を解決できないか。という考えが生まれ、この頃から酪農生産者向けのサービス開発に舵を切っていくことになります。
2013年のファームノート誕生ですね
もちろん出会いから酪農・肉牛農家向けスマートフォンアプリ「Farmnote 1.0」が誕生したわけですが、当時は色々と模索していた時代でもありました。
(当初起業していたブログCMSの)スカイアークも上手くいっていたと伺っていますが。
その当時は自分の「エゴ」に支配されていたと思います。起業当初に立てた年商1,000億円の目標に対し、10年経っても4億円程にしかならなかった。ですから「何やっているんだろう」と悩み、そこで縁のあった酪農家の課題解決を調べたときに世界に牛が14億頭もいることを知りました。「これは儲かる!」と思って始めただけなので、その裏側には大義もなにもなかったんです。
当時は、経営者として邁進していたわけですね。
はい。他人以上に豊かになって、圧倒的なポジションを築くことで、見返してやろう。という負のパワーが原動力でしたね。いまはそうしたパワーはゼロですれど。ちなみに、多くの起業家はそうしたパワーを活用しているんじゃないですかね。
今の小林さんとはまったく違うイメージですが、そこから何があったんでしょうか。
インドで瞑想と自己探求の2週間
外の世界に豊かさを求めた挙げ句、会社の経営も自分が想像していたようには上手くはいきませんでした。
少し重そうな話ですが、その苦悩から抜け出すことができたきっかけはあったんですか?
自分を見つめ直すために、経営者向けのコーチングを受けたことと、そのコーチの紹介でインドの経営者向けの寺院で瞑想と自己探求の時間を持ったことが大きな転機になったんです。2018年のことですが、そこで私は、本当の自分と向き合う重要な機会を得ることができました。
インド!?ですか……。インタビューが面白くなってきました!お寺での経験がどのようにして小林さんの考え方を変えたのでしょうか?
そのお寺で受けたのは、自分自身が本当は何者なのか、そして何を真に望んでいるのかという「本当の自分」にアクセスするというプログラムでした。そこで私は地獄のような思いをすることになるんです。
差し支えなければ、聞かせて頂けますか。
ファームノートは創業時から『「生きる」を、つなぐ』という理念で、世界の調和をつくりだし、1,000億円規模の会社をつくることを目標にしていましたが、これは本当にやりたかったことではなかったのです。社会の物差しで、他人より優れていたいという自分のエゴや私利私欲を満たすために掲げていたんだ、という事実にハッとすることになりました。
インドで大きな変化を得たんですね。
インドで、自分自身の心がどんどん貧しくなっていくのを感じとり、社会の目を気にし、ただ外面だけを飾る生活に追われ、自分が何を求めているのかさえ分からなくなっていたことに気付かされました。
縁と直感が出した答えは、間違っていなかった
これまで目指していたものが実は偽りだったという、辛い経験をされたんですね。
これまで自分を突き動かしてきたのはエゴだらけだったということに気づいた後、自分が空っぽに感じたんですね。そのときに、俺には何が残っているんだろうと考えたら、「人と動物と自然は好きだな、そして子供の頃から触れているコンピューティングもやりたいな」ということは明確にわかったことで、救われた気持ちになりました。
すべてを手放して、もう一度原点に戻って考えたわけですね。
そのときに、「生きるを、つなぐ。」、つまりは技術革新を通じて持続的な地球の豊かさに貢献するという、起業当初になんとなく作ったビジョンが本当の自分自身の言葉であったことに改めて気付かされたんです。当初はなんとか辻褄を合わせるために作った言葉だったんですが、これって俺の本心だったんだ、ということに気づいたんですね。
もう一度目の前の事業に取り組むエネルギーが生まれたということでしょうか?
私も含めて、人間なんてたかが知れていると思っているんですよね。この環境に活かされている縁を大切にして、目の前のことを全力で取り組むべきだと感じるようになりました。インドにいたときに「なぜ自分は大好きなはずの動物を殺す仕事をしているんだろう」と悩んだことがありました。でもそのときにわかったのは、それはしょうがないことだ。そうした前提で人間社会は既に動いているんだから、自分一人では終わらせられないことだと。環境や他人に文句を言うくらいなら、自分がそれに向き合うべきなんだと考えるようになりました。
ご自身の実践を通じて社会問題に向き合おうと「自分ゴト化」されたわけですね。そうしてインドから帰国後は、具体的にどうされたんですか。
独りよがりの経営。つまりは一般的な経営を手放して、いちから学び直そうと……。インドから帰国後にあった全社総会で、全社員を前に「3ヶ月休みます」と宣言したんです。
それはまた大きな決断ですね。
結果的に4ヶ月間休み、その間には経営を学び直そうと100人以上の経営者に会い話を聞きました。そうした多くの出会いから「経営とは人それぞれのやり方があるのであって答えは一つではない」ということでした。
紆余曲折があったけれど、当初の想いはブレていなかった。自分自身の直感が正しかったんだ、ということにある意味立ち戻ることができたんですね。
まさにです。そこから、ファームノートは別物になりました。やり方ではなく、あり方の経営に変えたのです。現在はファームノートの経営を通じて、地球に繋がった心の豊かなリーダーを増やしていくということに力を注いでいます。酪農という事業は、人・動物・自然の根幹が関わるビジネスだし、そのぶん社会課題としてはものすごく重たいんです。そうした課題にみんなで向き合って、みんなで成長していくことが、関わる人々の豊かさをつくるんじゃないか、と考えています。
「やり方ではなく、在り方の経営」とは非常に印象深いですね。そうして、現在は酪農・畜産の生産性向上の領域で、いくつもの事業を展開されているんですね。
牛に装着するデバイスを通じて健康状態をモニタリングしたり、ゲノム検査を実施したり、受精卵を作ったり、実際に牧場を経営していたりもしますが、結局それも人間のエゴなんですよね。それを受け入れながら、技術革新を通じて持続可能な地球の豊かさに貢献する為の事業を進めていきたいと考えています。最終的には不必要な生産(牛の数)をなくし、真の生産性の向上を目指したいと思っています。
最終的には、ご自身のルーツである十勝の特徴と、小林さんの使命が繋がってくることになるんですね。縁が繋いだ素敵なストーリーだと感じました。
関わるすべての人の富をつくる、ファームノートの挑戦
十勝という地域の特長や課題について、他になにか感じることはありますか。
起業家気質の人が多いというのは、十勝について一つ面白いところだなと感じています。実は、けっして知り合いが多いわけではないのですが、お話を聞くと面白いことに取り組んでいる方が沢山いると感じます。
最近は十勝を拠点とするスタートアップ企業のニュースを聞くことが増えました。ご自身の経験から、そうした機運をさらに高めるにはどうしたらよいでしょうか。
一方で、逆に可能性を削いでしまっていると感じるのは、それだけの気質を持つ人がいながらも、それを活かす方法が流通されていないというのは地域の課題だなと感じています。スタートアップのノウハウや人脈がもっと流通すると、相当面白いなと思うんですよね。冒頭の縁の話にもつながりますけれど、そういった新しいことに挑戦する人たちの縁が生まれるような環境づくりには私個人としても貢献できたらと思っています。
いまのファームノートのオフィスがあるエリアは、幼い頃から親しみのある場所だそうですね。
そうなんです。自分が子供の頃に過ごしていた場所で、自分の人生を全うできるということほど、嬉しいことはないなと感じています。いまから20年以上も前に最初に起業した建物もまだ残っていたりする場所で、少しずつ新たな歴史を積み上げることが出来ているという感覚は、例えば東京で感じるのは難しいかも知れません。
つい先日、資金調達*をされていますが、今後の展望を教えてもらえますか?*同社は24年4月に、総額8.4億円の資金調達を発表
はい。世界中の人たちが安心して暮らせる社会を作るために、サスティナブルな食糧生産の実現に貢献したいと思っています。その一つのマイルストーンとして上場を目指しているんです。日本を代表する農業生産拠点である北海道ですが、まだまだ競争力を向上する為の余地があると考えています。
『「生きる」を、つなぐ。』という理念の輪を、更に広げていこうとされているんですね。
当社の理念以外にも、私は「この会社に関わるすべての人の富をつくる」という強い前提を持っています。当社は酪農や農業のステークホルダーや生産者、株主、地元企業、個人投資家、社員の持ち株会など、株主の数が多いという特徴もあるのですが、企業価値が大きくなることでそうした方々をみんな豊かにしていくという使命も持ちながら、これからも挑戦を続けていきます。
PROFILE
西 麻衣子 | にし まいこ
帯広市出身。札幌で大学卒業後、結婚・出産を経て、不動産会社で3年の勤務経験を得たのち、父の会社「キャピタル・ゼンリン株式会社」に入社。フェーリエンドルフの運営や不動産運用の仕事に従事していたが、父の逝去に伴い代表取締役に就任。コロナ禍に突入し経営難と奮闘中に米田健史と出会う。株式会社「そら」との経営統合を決断し、今に至る。現在、株式会社そら不動産管理責任者。
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PROFILE
三浦 豪 | みうら ごう
株式会社dandan 代表取締役 | PwCの戦略コンサルティングチームStrategy&、ベンチャーキャピタルの Reapraグループを経て、2021年に株式会社dandanを創業。人や組織は「だんだん」変容するというコンセプトで、企業研修や経営支援、コンサルティングを行っている。2023年に帯広市に移住したことをきっかけに、SORAtoインタビュー企画のディレクターとしても活動している。