戸澤 享宏という男
「株式会社そら」と不動産大手「オープンハウスグループ」が手を取り合い、誕生した“地方創生・地域共創”のための新会社、株式会社かぜ。2024年5月に、新たな仲間としてジョインしたのが戸澤 享宏(とざわ たかひろ)さん。
金融の最前線を歩んできたエース営業マンは、なぜ今、地方創生というフィールドへ飛び込んだのか。そのリアルな物語をひも解いていきます。
生い立ちから野村證券時代まで
「金融の血筋」とサッカー少年
Q:戸澤さんのバックグラウンドについて教えてください。
戸澤「埼玉県草加市出身で、足立区で育ちました。幼稚園の頃からサッカー一筋。中学時代は都大会常連の強豪校に在籍し、高校は“ごく普通の高校”に進学しましたね(笑)。父が日本株のファンドマネージャーだったこともあって、自然と株や金融に興味を持つように。青山学院大学経営学部に進んでからは、公認会計士の勉強をしようか悩んだ時期もありましたが、最終的に「もっと金融の世界を深く知りたい」と思って証券会社を受けました」
「野村證券入社──800人の同期と泊り込み研修」
Q:野村證券に入社したのは2009年でしたね。
戸澤「同期が800人いて、しかも研修は泊り込み。めちゃくちゃハードでしたけど、それだけに仲間意識も強かったですね。入社当初、僕は千葉支店の総務課に配属予定だったんです。ところが研修中に「営業に向いている」と判断されて、急きょ営業へ転換することに。野村證券では本来あり得ない異例の人事だったので、本当に感謝しています」
Q:“トップセールス”への道のりは、まさに伝説ですよね。
戸澤「ちょっと大げさかもしれませんが(笑)。配属初日、結果が出なくて落ち込んで帰社したら、伝言メモに「1000万円の取引申込み」の連絡が残っていたんです。研修中に何度も通っていた社長さんが、デビューを祝うかのように“初回取引”をしてくれて。ほんと「神様はいるんだな」って思いました。そこからは「営業でNo.1になる」と大きく宣言してしまった手前、常にプレッシャーと闘っていましたが、結果的に2年目の春に大口オーナーから億単位の資産を任されるようになり、同期の中でダントツ1位を取ることができました」
神戸支店での“挫折”と仲間との出会い
「同期・水野と交わした涙の夜」
Q:その後、千葉から神戸支店に異動されたんですよね。
戸澤「はい。そこで今の「株式会社そら」を立ち上げたメンバーのひとり、水野とも出会いました。最初の印象は「頭が切れて、優しいスマートな男だな」と。神戸支店は優秀なメンバーが集まる支店で、出世を意識した“ガチ勢”ばかり。僕も自分の営業スタイルに迷いが生じ、いろいろ悩んでしまって……。そんなとき水野が食事に付き合ってくれて、泣き言を全部聞いてくれたんです。本当に救われました」
「周囲から“終わった”と思われても、もう一度這い上がる」
Q:挫折を味わった時期、どうやって立ち直ったんですか?
戸澤「神戸支店で出会った“心から信頼できる上司”の存在が大きかったですね。“証券マンはお客様の利益と会社の利益を両立させないといけない”って言われたんです。そこで「自分は、この上司のために頑張る」と腹を括りました。徐々に成績も上向き、最後の2年間は支店内でも上位に食い込めるようになりました」
つくば支店での“マネジメント”と米田氏との再会
「人を育てる難しさ」
Q:その後、つくば支店に異動して管理職にも近いポジションを経験。
戸澤「はい。後輩の育成やチームマネジメントにも携わったのですが、めちゃくちゃ難しかったです。何人かはトップセールスになるまで成長してくれたけど、あの手この手を尽くしても結果につながらない人もいて……。本当に「人を育てるって、一筋縄ではいかないな」と痛感しましたね」
「同期・米田の“謎の大躍進”」
Q:一方で、同期の米田さんは帯広支店で全国1位を成し遂げたとか。
戸澤「そうなんですよ! しかも帯広支店は営業がわずか5人。普通に考えたら“それほど大きな数字は狙えない”とされる支店なのに、米田はあっさりトップに導いた。言い訳無用、環境関係なし。あれは衝撃でしたね。まさに異次元。改めて、米田を通常の感覚や感性で測ってはいけないと思い知らされました」
オープンハウス入社、そして“かぜ”との運命
「野村證券を飛び出し、オープンハウスへ」
Q:米田さんが起業された後、戸澤さんも転職を考えたんですか?
戸澤「はい。コロナ禍で「このまま支店長になることがゴールなのか?」と疑問を持ち始めたんです。ちょうど転職活動していたら、オープンハウスの“アメリカ不動産投資”の話を聞く機会があって。トップに立つ荒井社長と30分話しただけで、もう惹き込まれましたね。気づいたら「よろしくお願いします」って言ってました(笑)」
「オープンハウス役員が帯広の米田氏に会い、大興奮」
Q:そこから一気に“かぜ”の話が進んだ?
戸澤「オープンハウスの採用人事をまとめている方が「同期の米田に会ってみたい」と言うので繋げたら、帰ってきた役員が大興奮で「荒井社長! 北海道十勝の米田さんとぜひ会ってください!」と。そこからトントン拍子に、オープンハウス×株式会社そらで新会社「かぜ」を立ち上げる流れになり、「これだ! 自分が米田と再び一緒に仕事できるチャンスがきた!」と確信しました」
地域共創と収益の両立という唯一無二の”ガチ”ビジネス
「“地域共創が本業”だからこそ本音で突き抜けられる」
Q:実際、株式会社かぜや株式会社そらのビジネスモデルはどう映っていますか?
戸澤「地域共創に取り組んでいるがお金が足りない。また、お金はあるが地域共創はあくまで社内の傍流の仕事である。といった例をよく見聞きしました。その中でそらほど”地域共創事業”と”収益事業”の双方を本業としてコミットして取り組んでいる会社は見たことがありませんでした。しかもその二つの事業が全く関係ががない別のものではなく、「そら」が地域共創事業のステークホルダーを増やしながら「かぜ」がその皆様の資産を金融の力で守り、そこからいただく収益を地域に還元するというモデルになっています。こんな”バカ正直”に地域と向き合うモデルは唯一無二ですよ(笑)。だからこそ、面白いし、共感できる仲間がどんどん集まってくるんです」
戸澤流“共創スタイル”に乗るか、乗らないか?
「人との出会いがすべてを変えた」と語る戸澤さん。
野村證券時代の仲間たちとの再会、オープンハウスでの“荒井社長”との邂逅──すべてが繋がって、地方創生の最前線「かぜ」に辿り着きました。
今、かぜは一緒に“新しい風”を巻き起こす仲間を求めています。
都会の華やかなキャリアを捨てるのではなく、むしろその経験を地方活性にダイレクトに使う──そんな働き方がここにあるんです。
「次に新しい“風”を起こすのは、あなたかもしれない」
戸澤さんの物語を読んで、そう感じたなら、あなたもかぜの扉を叩いてみてほしい。ここには、まだ誰も見たことのない地方創生のステージが広がっているから。
【PROFILE】
【戸澤 享宏|とざわ たかひろ】
埼玉県草加市出身。青山学院大学経営学部卒後、2009年に野村證券入社。千葉・神戸・つくばなどの支店を渡り歩き、トップセールスとしてCEO表彰を複数回受賞。2022年にオープンハウス入社。ウェルスマネジメント事業部で多角的な資産運用コンサルティングを展開。2024年5月、米田氏が率いる株式会社そらと共同で設立した株式会社かぜに参画。現在に至る。