中札内村のグランピングリゾート「フェーリエンドルフ」を核に不動産事業を展開するキャピタル・ゼンリン株式会社が、新たな経営体制へ舵を切りました。代表取締役社長に就任したのは、現役藝大生であり起業家・デザイナーとしても活動する西菜花氏(21)。創業家への経営復帰は約5年ぶりです。コロナ前比で業績が約2倍に伸びる中、若き新社長と米田健史会長が対談で語るのは、会社が向かう次の成長ステージと、その背景にある価値観でした。(取材:スマヒロ編集部)

PROFILE
2004年生まれ、北海道帯広市出身。札幌日本大学高等学校を経て、日本大学芸術学部デザイン学科に進学。建築デザイン専攻。インターンシップでの経験に刺激を受け、学生起業してプロダクトデザインやSNSマーケティングを手掛ける会社を設立。2025年11月より、キャピタル・ゼンリン株式会社の代表取締役社長に就任。自身の祖父が創業し、そらグループのもと成熟期を迎えたフェーリエンドルフのさらなる拡充を目指す。趣味は「胸をワクワクさせること」。
キャピタル・ゼンリンの3代目社長、「西 菜花」ってどんな人?

米田 キャピタル・ゼンリン株式会社は、十勝・帯広を拠点に土地・戸建て、マンションの売買取引を中心に行う不動産会社です。もともと菜花さんの祖父にあたる故・西惇夫氏が設立し、故人の長女である菜花さんのお母さんが2代目として事業を継承。ほどなくコロナ禍を迎え、2020年に株式会社そらと経営を統合した背景があります。
西 祖父の時代には、地域のスポーツ振興やレジャー開発などさまざまな事業を手掛けてきました。その中でも、核となるのが「中札内農村休暇村フェーリエンドルフ」の運営です。私自身、子どもの頃から多くの時間をフェーリエンドルフで過ごすし、泊まりに来てくださるお客様や従業員の皆さんにかわいがっていただいた思い入れのある場所。その代表取締役社長の大役を譲り受けることになり、身が引き締まる思いです。
米田 菜花さんは東京の藝術大学に通う現役の大学生ですが、もっと以前から会社の事業に貢献してくれていましたよね。フェーリエンドルフ内の「十勝冷燻(れいくん)工房」の商品ラベルをデザインしたりとか。ヒット商品「十勝魔法のマヨネーゼ」のデザインをお願いした時は、まだ高校生だったと思います。少しだけ、自己紹介をしてもらいましょうか。

西 もともと絵を描くのが好きでした。中学までは十勝で過ごしたので、自然を描くことも大好きです。高校卒業後は留学をと考えていた時期もあったのですが、ちょうど進路を決める頃にコロナが流行し、海外への進学が難しくなってしまい……。そこで東京の藝術大学に進み、建築デザインを学ぶことにしました。
進学後は学生の間にしかできない挑戦と失敗をしたくて、業界のインターンや経営者交流会などにも積極的に参加しました。東京って、本当にいろんな面白い人がいますよね。私の同世代でもバリバリ海外で活躍している子がいっぱいいます。ただ授業を聞くだけの学生生活に意義を見いだせず行き詰まったときも、学外での経験・人脈が人生を見直すヒントになりました。もともと家業にかぎらず経営者になることは意識していたので、“新しい世界への切符”みたいな感じで自分の会社を起こしたのもその一つ。今はいったん休学して、東京と帯広の2拠点を行き来しながら活動しています。
創業家に“戻す”ことで前進させた、キャピタル・ゼンリンの新体制

米田 なるほど。ほとんど知っている話ではありましたけどね(笑)。というのも、我々は僕が「そら」を創業する前に務めていた野村證券の営業職時代から顔見知りなわけですし。菜花さんはまだ中学生ながらも、お母さんと一緒に大人の会話に加わっていましたよね。打ち合わせの際に「娘を同席させていいですか」とお母さんに聞かれ、ちょっと不思議な母娘だなと面食らったのを覚えています。
西 米田さんに初めてお会いしたのは、中学3年生のときです。母は私をそういったビジネスの席にも同席させてくれ、「聞いてるだけじゃなく、菜花も何か質問してみたら?」と話を振ってくるんです。傍から見たら、少し風変わりなお母さんかもしれないですね(笑)。
当時の米田さんは証券マンで、お金のプロであることは理解していました。とても堂々としていて、洞察力もあって。中学生ながらに、「目の奥が深い人だな」という印象を受けました。

米田 もちろんその時は、“将来のビジネスパートナー”なんて微塵も思っていなかったですが、僕も第一印象は覚えていますよ。思春期なのに物怖じしないし、よく人の目を見て話す子だなと。
今回の社長交代を発表後、「なぜこのタイミングで体制を変えるのか」「創業一族に返して後戻りにならないか」と周囲に聞かれることもありました。結論から言えば、もともと僕のなかにはフェーリエンドルフやキャピタル・ゼンリンを“いつか西家の経営に戻す”という明確なビジョンがあったので、新たに大きな決断をしたわけではありません。菜花さんの成長を付かず離れずで見守ってきて、彼女の世界観が広がっていく様子を目にしてきました。ようやくお互いの歯車が噛み合って、実現可能なフェーズに移ったというだけなのです。
西 交代を発表する2カ月ほど前、私が運営する会社のSNSマーケティング事業の件で東京でお会いしたときに、お話いただいたんですよね。率直にうれしくて、挑戦したい気持ちが湧きました。
米田 SNSマーケティングもそうですが、仕事として一生懸命に何かを世の中に表現をしていこうという気概を感じたんです。たとえば「菜花さんの卒業を待ってから」「現在39歳の僕が還暦の節目で」など、いくらでも選択肢はあるわけです。ただ、もともと西家に戻すのが前提の話なら、ある程度軌道にのった段階で未完成のまま若い世代へ譲るほうが、組織としての吸収力やスピード感が上がると踏んでいます。代表権をもつ会長として、私も引き続き新体制をバックアップするつもりです。

バトンを託す者と受ける者、ワンチームで“十勝創生”の夢を描く
米田 リゾート業界が最も萎縮していたコロナ禍に「貸別荘コテージ」「グランピングリゾート」を掲げて巨額の投資をし、フェーリエンドルフの施設価値を高めてきました。その投資の結果がようやく実を結んだ今、もちろん手応えも感じていますが、そらが目指す最終ゴールは「十勝に人とお金を呼び込む」です。良い意味であまり執着せず、然るべき所有者へと繋げたことも我々の功績の一つだと思っています。
キャピタル・ゼンリンは、キャンバスの中心にフェーリエンドルフを入れて、地域創生という大きな絵を描いている真最中です。地域の皆さん、どうか温かい目で見守ってください。

西 「中札内で、人が自然と笑顔になれる場所をつくりたい」という想いで祖父が創業したフェーリエンドルフを、大切に守っていきます。人の笑顔や思い出をたくさん生み出す場所をつくってきた祖父の姿は、私の人生観の大きな軸です。就任してから、その意味を改めて考えるようになりました。
今は「フェーリエンドルフのここを変えたい!」という完成図があるわけではありません。ただ、これまで以上に多くのお客様を笑顔にできて、スタッフの皆さんにもそのことを誇りに思ってもらえるような雰囲気づくりに取り組んでいきます。これからはビジネスとしてもきちんと進化させていかなければならないので、その責任は感じていますが、不安があるからこそ成長できるとも思っています。持続できる形で、これからも地域とともに歩み続ける。そのための再始動です。
