インタビュー企画「そらと考える:地域共創の現在地とこれから」では、株式会社そらが持続可能な地域共創への模索を続ける中で、各業界のフロントランナーの方々をゲストとして招き、十勝の企業や個人の取組みが地域の発展にどのような意味を持ち、どのように貢献しているかを掘り下げていきます。また、十勝がこれから将来にわたり発展し、地域外から人々を惹きつける為には何が必要なのか?という観点で、ゲストたちが考える地域・業界の課題や、それを乗り越えるための革新的な取り組みにも焦点を当てるインタビュー企画です。
第四回目のフロントランナーは、十勝・音更町に拠点をおき、地元からは「ヤマチュウ」の愛称で親しまれる企業グループ「山忠ホールディングス(以下山忠HD)」の代表取締役、山本英明さんです。雑穀卸を生業としてきた会社が、産学連携、起業家支援、福祉事業など、「地域創生企業」として活躍の場を広げています。「ヤマチュウは人でできている」と自信を持って言い切る山本社長。故郷十勝に貢献し尽くしてきたヤマチュウが、育てた人財の力で、さらにどう地域創生していくのかを伺いました。(取材:株式会社そら 水野彰吾 三浦豪 / 記事・写真:スマヒロ編集部)
PROFILE
山本英明 | やまもと ひであき
1959年、音更町生まれ。株式会社山本忠信商店代表取締役。下音更小、下音更中、帯広柏葉高校、明治大学工学部卒。東海澱粉(静岡県)を経て87年、同社入社。2005年から現職。北海道農産物集荷協同組合副理事長、豆の国十勝協同組合副理事長、音更町十勝川温泉観光協会会長、音更町商工会副会長などを務める。14年に日刊工業新聞社優秀経営者顕彰「地域社会貢献者賞」を受賞。
十勝を出て、外の世界を知り、経験値を上げてからが勝負
一問一答は以下
まずは山本社長の少年時代について、簡単に教えてください。
はい。私は音更町出身で、十勝川の近くで生まれ育ちました。祖父が創業者なのですが、二代目に当たる父は中学を中退し、すぐに家業を手伝い始めた影響で、青春とかを謳歌したという話は一度も聞いていませんでした。
なるほど、そうしたお父様の話も聞いたことで、当初は継ぐ気はなかったんですか?
そうですね。大学進学で上京し、工学部だったので電機メーカーに内定。父の姿を見ていたので継ぐ気はなかったんですよ。
Uターンを決めたきっかけは?
これからサラリーマン人生が始まるぞというなか、同級生たちが給料と休日の話ばかりしているのを聞き「なんだかつまらないなぁ」と感じてしまったんです。だったら、別の道を進もう!と決断。最終的には父親に頭を下げて「入らせてください」と……。
山本忠信商店の三代目を目指す決意をしたんですね
ただし、外の世界を知らないままでは将来行き詰まると思い、内定した会社には入らずに、静岡にある取引先の食品卸会社に5年ほど修行に出ました。当時、その会社は数百億円の売上があり、創業者もバリバリ。とにかく味に対する認識力と言うか表現力に厳しい人で、「おいしい」なんて一言で終わらせると怒られるほど。結果的に、食べただけで豆の糖度を当てられるほど感覚は研ぎ澄まされた5年でしたね。
とても貴重な5年間だったんですね。その取引先とは現在も関係があるのですか?
はい、現在では売上2,000億円以上の企業に成長していますよ
時代の変化を読み取り、十勝ブランドでどこまでできるかが鍵です
それではここから、今の山本社長から見た十勝についてお話を伺いたいと思います。
御存知の通り、十勝は自然豊かで人々も温かい場所です。東京にもっといたいと思ったことはありません。もちろん、若い頃に東京の刺激を経験することも大切でしたが、家族を持ち、地域に根ざして仕事をするには十勝が最適だと感じました。
十勝の人は外に出たくない人が多いとも聞いたことがあります。
おっしゃるとおりです。豊かな食を背景に「出たくない」「出る必要がない」と思う人が今も昔も多い気がします。逆に一度、外に出た人は「十勝には仕事がない」と思い込み、帰ってこないことも問題だと感じています。
私も移住してから気付いたのですが、まず圧倒的に農業が強いですし、探してみると仕事もたくさんありますよね。衰退する地方都市が社会課題になっていますが、十勝の持つ可能性を活かせれば将来も決して暗いわけではないと思っています。
そうなんです。十勝の農業は域外から毎年3,000億円を超える収入を上げている産業なので確実な雇用もあるし、十勝にお金が入る仕組みがしっかりできていますからね。
もちろん、若い頃は十勝の外に出たいと考える学生さんの気持ちもわかります。
色んな意味で恵まれている十勝の産業ですが、将来を見据えるともう少し危機感を持ったほうがいいと感じることもあります。
具体的に教えて頂けますか?
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)の議論が高まったのが2009年。その頃から変化がはじまっていると考えています。作ったら売れる時代は終焉を迎え、市場と向き合い、出口戦略までを見据えた競争力を付けないといけない時代となってきました。
山忠HDでいうと、海外(シンガポール)進出もその一つだったんですね。
挑戦しなければ縮小や撤退が待っていますから。「十勝ブランド」を確立させ、どこまでやれるかがテーマだと考えています。
挑戦するヤマチュウだからこそ十勝に貢献できるんです
少し話を戻して、改めて山忠HDが十勝にどのように貢献しているとお考えですか?
改めて、山忠HDは、中核会社「山本忠信商店」を中心に十勝を創生する企業グループです。祖父・父が築き上げた信頼を武器に、地域の資源を活用し、付加価値を高めることで、十勝全体の経済活性化に貢献しています。また、地元の雇用創出や教育支援にも力を入れており、地域社会との共生を大切にしています。
社長就任後、最大の挑戦についても教えていただけますか。
最大の挑戦は、2011年にオープンした十勝最大の製粉工場「十勝 夢mill(とかちゆめみる)」にまつわる話ですね。当社は創業以来、生産者と消費者をつなぐことを掲げてきましたが、小麦の流通においては間に製粉という工程が入るためどうしてもこれが難しかった。そこで、自社による製粉工場の建設を決断しました。
投資額もさることながら、大きな挑戦ですね。
もちろん、ノウハウ不足や資金繰りの問題、業界からの圧力など、多くの困難がありました。それでも生産者からの後押しもあり続行を決断し、2011年に十勝初の製粉工場「十勝夢mill」を完成させました。これにより、生産者と消費者が顔の見える流通を実現できたんです。
まさに挑戦するヤマチュウですね。「十勝 夢mill(とかちゆめみる)」ができて、十勝での存在感が大きく変化したと思いますが、そこからの生産者と消費者の距離をもっと近くにするための取り組みについて教えてください
製粉工場を手に入れたことで、「生産者へ寄り添う」姿勢はさらに強まりました。1990年に設立された小麦生産者団体「チホク会」と連携し、2012年には6次産業化法に基づく6次化認定を得たんです。これにより、生産者が消費者の評価に直接触れられるようになり、品質向上へのモチベーションを高めることができました。また、ヤマチュウの新たな社是『「つくる」を「食べる」のもっとちかくに』を掲げ、レストランや流通との連携を進めています。
十勝ブランドを国内外へ。気づきを得る場所として最先端が集まる東京は大事
M&Aや東京、海外と十勝ブランドの大いなる挑戦のはじまりですね
おかげさまで弊社グループは『「つくる」を「食べる」のもっとちかくに』を掲げ、雑穀卸会社としての枠を超えてきました。2021年には食パン専門店「LeBRESSO」などを子会社化し、東京駅内にベーカリー店を出店。また、地元の福祉事業者と共同で設立した「とかちアークキッチン」によるキッチンカー事業も展開しています。さらに、JALUXと戦略的ビジネス提携を結び、食品加工工場を傘下に収めて商品開発を進め、障害者の手によって食品加工を行っています。
東京や海外にも事業展開し、各地とダイレクトな接点を持つことで、インターネットでは得られない情報が入るということもありそうですよね。
アンテナをはり続けることが“気づき”を得るチャンスに繋がるんです。ひとつの情報も角度を変えてとらえる力が大事です。だからこそ、人も情報も技術も最先端が集う東京との接点は大切だと考えています。
情報を正しく捉え、解釈し、活用することを通じて視野が広がり大きく成長できるということですね。ヤマチュウが取り組む人材育成についてもお聞かせいただけますか。
「ヤマチュウは人でできている」を企業理念のトップに掲げています。新しい事業を始める時は社員に任せ、その際に「なぜこの事業をやるのか」という問題意識や意味、ストーリーを伝えることが重要です。
人材育成を投資と捉えているからこその発想ですね。
仰るとおり、私が社員の進む道を整備することで、社員は「この道を進めばできる」と思い、自然と動いてくれます。人材育成は“未来費”ですから削減対象にはなりません。それが私の仕事だと思っています。ヤマチュウの成長を支えるのは「人」であり、十勝産の食材を全国・世界へ届けるという使命を持っています。山忠HDは、地域創生企業としての役割を果たし続けますよ。
PROFILE
水野 彰吾 | みずの しょうご
愛知県出身。同志社大学卒業後、野村證券入社。神戸支店や千葉支店での勤務ののち、社内で若手の登竜門とされる従業員組合へ、そこで米田健史と出会う。3年の間、同じ部署で同僚として働いた米田健史社長らと株式会社そらを創業。現在、株式会社そら財務責任者。
北海道十勝、豊穣の大地が生んだ一期一会の対話。地方創生を牽引する企業「そら」。帯広に新天地を求めた移住者。当然ながら地方創生ベンチャー「そら」が次々に繰り出す一手にも資金は必要です。同社の舵取りを財務...
PROFILE
三浦 豪 | みうら ごう
株式会社dandan 代表取締役 | PwCの戦略コンサルティングチームStrategy&、ベンチャーキャピタルの Reapraグループを経て、2021年に株式会社dandanを創業。人や組織は「だんだん」変容するというコンセプトで、企業研修や経営支援、コンサルティングを行っている。2023年に帯広市に移住したことをきっかけに、SORAtoインタビュー企画のディレクターとしても活動している。
今回の主役は、北海道・十勝に移住した三浦豪さん。米国シアトルのワシントン大学を卒業し、世界最大級のプロフェッショナルサービスファーム「プライスウォーターハウスクーパース(PwC)」の戦略コンサルティング...